夢を叶えるまでに費やした9年間

2020年10月13日

私の運命が変わった日だ。

それどころか、人生のあらゆる問題から解放された日でもある。

そして今日は2020年11月13日、明日は私の誕生日である。28歳という期間をひたすら勉強だけに打ち込んできた、遊びも振り返ってみても、殆ど記憶にない。華の20代のうち28歳だけは修行増の如く勉強に勤しんだ。それは夢を叶えるため、そして自分の人生のあらゆる問題解決のために、しなくてはならない事でもあった。そもそも、これまでの日記の連投の訳は、明日の誕生日で29歳を迎える前までに、今年の一年の振り返りと20代の大部分を振り返りたいと思い筆を執っていたのだ。

 

私の20代は正直な気持ち、光り輝くものではなく闇や黒い部分が多いと思う。

なぜならば、20代の始まりから「自分の夢という光り輝く灯」を逃しに逃し続けて、長いトンネルや暗い森の中を彷徨い続けていたからだ。それは人から見ても自分から見ても輝いた道には見えないだろう、暗く、鬱屈した林の道のように凸凹で直線な道など皆無で、いつも曲がり角から先の景色なんて見えたことはなかった。急に落とし穴にハマり、抜け出すことに苦労したり、崖から転がり落ちたこともある。それでも遠く輝く「夢という灯」を頼りに一歩一歩近づく努力だけはしたつもりだ。

 

20代の大部分20歳~28歳までの9年間は間もなく数時間で終わる。

それは、第一章に過ぎない。

29歳こそが本当に幸せな夢のストーリーがある、第二章が29歳から始まる。

20代最後の年にして、ようやく私の夢が叶えられたのだ。今までの焦燥感や魘(うな)されて起きることや、夜中にどうしようもない恐怖感に苛まれることももう無いだろう。断言はできないが、今までの様な状態からは抜け出せるから劇的に改善していくことだろう。なぜならば、私の夢がかなった時点で、将来への不安からは解放されるからだ。【金銭面、社会的地位、将来性、信頼性、仕事のやりがい】この5つのどれもが過去の20歳~28歳までは持てなかった。それらがない時の精神的なストレスは、味わったことのない者にはわかるまい。地獄の苦しみと、日々どのような時でも自己に自信を持つことが不可能なのだ。これを苦しみと言わず何と言おうか、人と話してるとき、映画を見ているとき、食事しているとき、世の中で活躍している人を目の当たりした時、ありとあらゆるシチュエーションで私は、自己に足りない上記の物を欲求にかられる。しかしどれも簡単に手に入るものではないので長期間の労力を惜しまず連続的になし得ないと手に入らない、しかも絶対に手に入る保証など何処にもない。このような苦しみを8年間味わい続けたせいで、私はある種の精神症をきたしているのかもしれない、その精神症は、5つの欲求を一つでも満たせられていないと感じた瞬間に猛烈に劣等感を感じる神経症である。自分でも面倒な性格だとつくづく実感するのだが、自己能力が劣ると判断してしまい卑下してしまいがちであるのだ。この8年間に何百、何千、何万と5つの欲求が欲しいと願ったかは計り知れない。そんな自分の性格上、どうしても夢を叶えなければ幸せは訪れなかったのだ。私の幸せは5つの欲求を満たしたうえで成り立つ相当難易度の高い幸福論者なのだ。やれやれ。

 

さて、その夢を叶えるために必要であった中間ステップが環〇〇のエーアールの非常勤職であった。前回の記事では、二人の非常勤により精神衛生が乱されたこともあるが、実はメリットの方が多かったのだ、そこで以下の通りに記してみた。

 

【民間から公務へ仕事が変わったことのメリット】

・仕事のノルマが極端に少ない。

民間では時給のように、その日、その時間に生産性を上げて利益を生み出さないといけないが、公務はそうじゃない。利益にならないことが仕事なので急かされることがあまりない。もちろん期限付きの仕事はあるが利益云々ではないので、民間程激しい仕事は無かった。

 

・仕事の配分は自分で決められる

マネジメントをされているのが当たり前だった民間では、上司に口酸っぱくやいのやいの言われることはほぼない。営業会社であれば報告と同時にPDCAサイクルを説明し、時に厳しく指導されることはザラである。しかし公務は人を育てようなどという気概を持つ人はあまり存在しない、なぜか非常勤同士だけが先輩が後輩に指導買って出ている人はいたが、そんなのは極わずかで、しょせん契約社員は入れ替わりでいなくなる存在なのでいちいちマネジメントなんてしないのだ。面倒だし、下手したら恨まれ役になるから。

 

・休日が多いこと、残業の少なさ、絶対にボーナスがあること

これは福利厚生の充実さが最高であり、公務員であれば非常勤でも享受できるところにある。これは民間でサービス業に従事していた身分であった私は、休みなどは長くて二日しか取れなかったため感激したものである。年間で15日(常勤職員は20日)もの有給が支給されるので、1ヶ月のどこかで有給は必ず取れる環境でもあった。他にも公務員ならではの福利厚生はまだまだあるのだが割愛をする。

 

以上の様に、理想非常勤に悩まされた経験を語ったが、もちろん良い事の方が多かったと言えるだろう、おかげで勉強に割く時間もわりかしあるので、自己管理ができる人は空いた可処分時間を用いて自分の夢に挑戦することも容易である。

そもそも、私はこの理想とするワークライフバランスでこそ、ようやく夢がかなえられると思っていた。雇用期間中に勉強をして、そのまま常勤の公務員へ転職をする、これこそが私の理想のステップアップであったからだ。

初めての、一人暮らしは1ヶ月程はかなり寂しいなと感じたが、元々家族とはそこまで話すことはなかったので、一人の時間をいつの間に楽しめるようにもなった。

そして、私は幸いなことに料理が好きであった、得意とまでは言えないがそれなりに自分で食べて美味しいと感じられる料理を作れるのだ。そして掃除も別に嫌いではない。一人暮らしをする上で特段困ることは無いのだ。

 

初めて勤務し始めてからの4月から6月にかけては仕事終わりの18時には家に帰りつくので、そこから家事をこなしつつ、空いた時間で公務員試験勉強に打ち込んだ。

しかし、6月の中頃に事件が起きる、自動車の物損事故だ。そのことがきっかけで上司に散々迷惑をかけ、同じ立場の非常勤に舐められマウント取られることとなる、大変に痛恨の極みの一件であった、同じ年の下半期にも事務所内で車の駐車中に後方をぶつけてしまうトラブルを起こしてしまった。そのことで、私の事務所のヒエラルキーは最下層に転落してしまい同期を調子づかせることとなるのだった。そのトラブルは長きに尾を引いて一時期は帰宅後に勉強所ではなく相手側に謝罪しにいったり、自動車運転所に自ら通い直すなどプライベートな時間も削る羽目となり、4月~6月にかけて勉強していた習慣も一気に無と化した。そして、人生3度目の試験もあえなく失敗となってしまった。

 

また、以前から憧れていたRの働きぶりを間近で見ていると許認可申請が多いのだ、自然を守ることではあるのだが、法に則り遵守させる指導が仕事の9割を占めていて、私が思い描いていたRの姿とは余りにも違ったので愕然とした。地球温暖化防止のための仕事や環境破壊を止めるための政策などに携わることなど、地方事務所では皆無で、淡々と許認可事業をやり続けるのだ。つまらない仕事であるし、守ってる実感も湧きにくい、正直こんなに魅力が無いのかとガッカリしたのを覚えている。このような経緯があり、仕事後の可処分時間を勉強に充ててRになろうという気力が湧きずらくなっていた。勉強して環〇〇に入ってRになったとして、こんな自然とかけ離れた事務仕事に忙殺されるのはくだらないとさえ思った。こうした心境の変化は私の夢の形を変えてしまった。

 

では、なぜ私がそれでもなお公務員を目指したのかを次の記事で記す。