29歳になり2カ月経って思うこと。

2021年になった。

今年は30歳になる節目の年であり、国家公務員として働くことになる、我が人生で大きな意味を持つ年となる。

 

28歳から29歳になる直前に書き記した、これまでの20代の振り返りはもう行う必要はない。私は、着々と人生の第二章を生きているからだ。

これからの激動の第二章は、これまでの人生よりも更に輝いて素晴らしいものになると確信している。

 

さて、29歳になってから約二カ月弱で何が起きたかを書き記しておくことにする。

まず、合格をした場合は「やりたいことリスト」を作成したのでそれらに沿って、できるタイミングで達成していた。

それらは、以下の通りだ。〇が達成で空白は未達

 

1.海外旅行、国内旅行
〇2.友人と遊ぶ
〇3.美容系に力を入れる(ほくろ取る、にきび、しみ抜きetc)
〇4.髪を染める
〇5.時計を買う、ヘッドホンを買う、服、靴を買う
〇6.iPhone12を買う
〇7.宇宙兄弟全巻を買って一気読み
〇8.気になる本を大量購入して読みふける
〇9.親戚一同で祝賀会
10.異性との交遊・彼女作り
〇11.テント泊・キャンプ・登山
〇12.学校に報告、お世話になった人へ報告する
〇13.映画三昧
〇14.施術を受けに行く
〇15.アルバイトで稼ぐ

 

ほぼ、コンプリートしているのである。

いかに濃密で充実した二カ月を過ごしているのかが分る。

 

今では、上記のやりたいことは私にとっては普遍的な日常にすら思える。

しかし受験時代は制約がかなり辛く、交友関係など皆無であった。家族とも話す事なんてほぼ無かったので一日無言のまま独り言だけで終わるなんてことがある日常で無味乾燥な刺激のない日々であったのだ。例えば、映画やドラマが見れる時間は無い、そんな時間があったら一問でも多くの問題に取り組むし、何より勉強時間外の事に時間を費やすことに罪悪感と切迫感と危機感と焦燥感が感情に渦巻くので、はっきり言って娯楽を楽しめるメンタリティではないのだ。つまりある種の神経症に悩まされていた。

 

最終合格を経て1週間が経過したころだろうか、ようやく上記のリストを1つずつ楽しめるようになってきた。半沢直樹シリーズ下町ロケットや逃げ恥などの人気ドラマを享受したり、鬼滅の刃のアニメを全作品楽しんだり、映画館に出かけたり、プライムビデオで映画を一日に3本ぐらいのハイペースで消化したりまさに、娯楽に浸りまくった。幸せであった。普通の人が普通にドラマや映画を堪能したりする日常が、私は1年間ほどは無かったから、水が与えられなくなった植木鉢の土は枯れていて、常に水を欲す状態から、ふいに恵の水が降り注いだら水分をグングン吸収するだろう。それが乾きが満たされるまで水を吸い続ける。当時の自分は娯楽という精神的な栄養素が枯渇していた。だから朝から晩までずっと娯楽に勤しんだ。必要な栄養素を欲する飢えたハイエナのように娯楽にがっついたのだ。振り返ってみても充実且つ必要な時間だったように思える。

 

思い入れのあるリストはやはり物的な物よりも人とのコミュニケーションが多い。

代表的なのは親戚一同での祝賀会である。

某高級鉄板焼きを予約して、親戚一同で祝った。1人3万ぐらいするコース料理を10人で集まり食事。祝い金やプレゼントも頂き、本当に嬉しかった。

自分の人生を変えるために一生懸命に頑張ってきたつもりだけど、近くの人にも喜びを与えられたと思う。それが誇らしいし、私の人生の最高の瞬間であった。

 

また、勉強しかやってこなかったため、この一年間は人付き合いがすっかり疎遠になってしまった中で親友や友達やお世話になった方への報告をしたことも大きな出来事だ。

私はこれまで、非正規雇用で働いていて常に将来のビジョンが見えない中で20代を過ごしていた、卒業してからというものうだつの上がらない日々を過ごし。劣等感に苛まれ「〇〇は今何している?」の質問に恐怖すら感じる始末であった。

 

そのためFacebookの更新では自分の職歴など書けないし、誇れることも無いし。同窓会なんてものが開催されたら出席する気などさらさらない。今は違う。胸を張って国家公務員であるといえるし、言った瞬間に相手が驚きの表情に変わることを目にすることが多くなった。

【安定した地位と信頼の職に就いている自分】そういう自分に心の底から絶対的な精神の安定を内深部から支えているのだ。

私は、過去の記事でもふれたが、学生から社会人なり喪失した9年間を過ごしているうちに神経症になっていた。安定した職に就いていないため未来の不安に心が押しつぶされそうな、なんとも耐え難い気持ちになる神経症のことだ。

それがいつも自分の心の隅に存在していて、それがどこかで最後まで自分に自信を持てない理由であった。だから恋人との時間や親友、家族といても不安定な自分がいた。

でも今は違う。再三にわたって言うが、第二章の人生がスタートしてからは、漠然とした自分の将来の不安からは解放された。

初対面の人と会って自己紹介するときも、友人に会って最近何してるのか?と聞かれた時も、家族と未来の話しているときも、堂々と自信に満ちて自己表現をすることができるようになった。これは精神的な革命だ。「自分が変われば世界は変わる」と聞いたフレーズがあるが、まさに自分を変えた瞬間に未来も変わって、付き合っている人とのやり取りも変わってきた。もちろん理想のいい方向へと。

Facebookで合格の報告をした、5年ぶりの更新である。

いかに20代が暗黒であったかを、この時間経過で想像するに難くない。

5年間ぶりに更新、5年前は学生だった専門学生。お気楽な身分だった、だから海外旅行まがいな記事を更新していた。でも卒業していい会社に就職したわけでもないので、そこからの5年は正直、触れられたくない日々を過ごしていた。

しかし、合格後に意を決して国家公務員になることができたと報告した。見ていない人が大半だろうけど、その中でも結構の人が驚き祝福をしてくれた。存在を消した5年間からの解放であった。私の生きている証明、それも活躍してキラキラと輝く生きた証明がFacebookの更新であるのだ。

 

以上の様に、これまで自分に関わる多くの人に自分の夢の達成報告をしてきた。

それは様々な反応が見られた、大抵は「すごいね、おめでとう、よく頑張ったね、これから頑張って」というポジティブな反応、または男友達は嫉妬や悔しそうな表情も垣間見れたそれはそれで、最高の瞬間である。なぜなら悔しいと思うということはその人よりも上にいる事の証明でもあったから。マウントを取り合うのが男友達の基本コミュであるのでこれは最高に栄誉な瞬間なのだ、これは女には分らない感情だとは思うが。

 

なによりもこれらの、友人から得られるリアクションに対して自分は、少なからず自分に誇りを感じたし、人から賞賛を受け、凄いと認められるという経験は何事にも代えがたい人生の幸福の瞬間であるのだ。その最高で幸福の祝勝の瞬間を味わうが為に、高いハードルを用意して乗り越えるための努力と研鑽の日々を過ごしたといっても過言ではない。そんな並大抵以上のことを成し遂げる人は数少ないし、多くの人は出来ないのが普通。それでも自分を信じて最後まで諦めなかった人だけが、最高の感情を味わい、その後の人生の糧として強力に精神的な支えとなるのだ。

 

上記の事を振り返ってみて、改めて感じるのは。

夢を持つことの大切さ、夢を叶えるための道中が長く険しいほど達成感があることだ。

普遍的で月並みな事実こそが最も難しい、続ける事が最も尊いと今は感じる。

偉大な天才である宮崎駿監督がこんな言葉を言っていた。

www.web-freelance-life.com

 

宮崎駿「大事なものは、たいてい面倒くさい」

 

 

夢を叶えるための努力は面倒な作業の連続で地味。

だけど、人生で最も大切なことがそこにはある。

 

そんなことを前提に、私はこれまで以上に面倒なものと向き合い、人生をより良くしたいと思っている。