理想郷への入り口と中間での経験

ラクゼーションの会社(ヘルスケア商社)を退社した。

願ってもないチャンスが、あちらから飛び込んできたからだ。

 

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↑ 前回の記事で書いた通り、私はチャンスを逃すまいと全身全霊を込めてエントリーシートを書いて提出し、面接試験をクリアした。

 

4月から憧れに憧れた、理想とする職種に一歩、いや100歩程近づけた感覚であった。非常勤と言えど、本物の「環〇〇」の組織で働けるのだ、そして周りには憧れのRがいる。興奮していたと思う。

退職する前に同僚に打ち明けるのだが、素直に喜んでくれた人もいたが、中には嫉妬心が見え隠れするような言動も聞こえてきた。ある男性アルバイトからは「〇〇さんは勉強が出来てすごいですね、私や〇〇ちゃんはそういったことはできる能力がないんだ」と言った。自己否定と卑下をしていた。彼は当時、28歳だったろうか。二つ年下のしかも社員が更に安定の地位の公務員へ転職をする。それは、もうとてつもない焦りと劣等感を抱いたことは想像に難くない。自分が逆の立場だったら、嫉妬心で悶絶する。

でも、真実の所、今回の就活はあくまで非常勤職員への就活に過ぎない、求められるレベルは本物の公務員と比べるとめちゃくちゃ楽なものだ。そういった本当の事は打ち明けていないものだから誤解されていた。というか、誤解されたいという願望であったのが正直な気持ちで、曲がりにも社員から任期雇用の職へ転職するということは口が裂けても言いたくなかったし、公務員へ転職が決まったのか!とすごいと思われたいし、そうした時の相手の反応が優越感があったのだ、私はつくづくしょうもないプライドの持ち主である。

 

さて、退職後、あわてて引っ越しの準備を済ませた、初めての家探し、初めて不動産屋に行き何軒も車で周ってもらった。超幸いなことに、新築のアパートが3月にできて未契約であったので有り難く入居を決めた。まぁ仕事開始の2日前という超ギリギリで、初出勤前はエアーマットと寝袋で緊張もあって全く寝付けなかったのを昨日のことのように思い出す。

 

仕事は民間から公務になったことで、いままでの常識がまるで通用しない、まるで別世界に来たのではと思うほどの混乱だった。起案?決裁?出勤簿に判子?年休の前借り?早朝の新聞切り抜き?役所仕事どころか私はまともにデスクワークをした経験が無かったことも大きかった。営業会社では毎日営業の電話をかけるだけだし、リラクゼーションはマネジメント業務と施術とビラ配りで基本は立って仕事をして、PCをするのは業務報告とブログ更新ぐらいなものだ。Word、Excelパワポはほぼ学校で触ったことあるぐらいで、今でも勉強中である。

まぁでも、公務の仕事は2カ月ぐらいで適応しはじめた。私は正直に言うと民間の仕事に比べて公務はめちゃくちゃ楽だと思った。はっきり言って天国と地獄の差ぐらいあるのではないか、今まで体を酷使や精神を負荷、忙殺されるような仕事を経験してきた、営業でノルマを課せられて、競わされてきた。そんな環境と見比べてみると明らかに公務員は楽である(もちろん全般ではない)圧倒的な安定の地位にあるため、競争心とやらでギスギスしていないし、民間とは違う時間の流れを持っていると思う。

 

そういった環境では、必ず甘い汁を吸っている害人がいるものだ。その職場にもいた、自称でお局と自覚していた40代の非常勤の補佐員であった。最初こそは、面倒見の良いオバちゃんだったのだが、ある日を境にして態度が急変。無視、陰口、職場の人に聞こえるように嫌味と無能呼ばわりと陰湿ないじめを横行しはじめたのだ。イイ年した40代が20代の新人をいびらないと気が済まないのだから、冷静にやばい奴なのだが、周りの人は怖がって、あるいは面倒なので気を遣っていたため、やりたい放題、言いたい放題であった。そのお局の旦那が電気整備をしていたのだが、事務所の仕事を受注するように根回しするようなこともあった。それは問題発覚したら、職権乱用なのではないか?また、事務所にプライベートな私物を宅配で送ったり、事務所からプライベートな物を発送したりと、公私混同のやりたい放題好き放題やっていた。ある日そのお局が言っていた「私はこの事務所にこれからもずっといるからね」と。たしかに勤続年数は非常勤なのに9年目を迎えていた、しかしその発言とは無関係に人事の働きによりついに任期満了のため更新ができないことが決まった。そのことを知ってざまぁみろと思ったし、やはり長く居座ると自ら成長することなく下の者を叩く老害に成り果てるのだと思った。組織の健全化のために、あのお局が辞めたことは本当に良いことである。

 

また、もう一人どうしようもない同期がいた。先程言ったように競争環境に無い公務の世界で、アホ丸出しに競争心むき出しで煽ってくるような奴であった。彼は専門問卒で私が大学卒であったから嫉妬をしていたのだ。それに、隙あらば発言の揚げ足取りに精を出し、己が優れているとハッタリをかまし、しょーもないマウントを取り、聞かれてもないどうでもよい自慢話を甲高い声でベラベラと話をして周囲をドン引きさせ、空気も読めない痛い奴であった。正直こんなに腹立つ相手に人生で初めて会った。憤りも多々あるがあまりにも滑稽で笑えてさえもくる、彼の言動に驚きっぱなしで開いた口が塞がらない。聞くところによると、前職では非常勤で働き、頑張ったのに正社員として認められず、後から入った新人に先に正社員になられて。それが気に食わなくて辞めたのだと。完全にヤバイ奴だから正社員にしたくないんだろうと傍から聞いてもわかることなのだが、そのことがコンプレックスで環〇〇にきて、同期の私に散々マウントを取ってくるのだった。最初はその都度、私も反撃に出た、叱責し詰めたこともある。嘲笑うごとく、諭すように対応した。だが彼は天然のバカなのか、治らない。性格以前にそういう病気なのだろうと思う。けっきょく彼は1年半で次の職を決めて転職していった。彼がいなくなった職場は本当に心地よかったことを思い出す。彼とは金輪際関わることが無いことは私にとって良き人生である。

 

以上の様に、理想としていた職に就いて。民間から公務の違いなどがあったり、性格が醜悪を極めた二人の非常勤に悩まされた経験を語ったが、もちろん良い事の方が多かった。

それについては、次の記事で書くことにする。

そして、私はこの理想とする職の中であることに気づき、少し方向転換をすることにした。それについても次回書こうと思う。それが28歳で叶えた夢につながるのだ。