悔しさを押し殺して、逆転の一手を打つ

私の夢は公務員になることではない。

そして、目指したというより、根源的には自然系業種は食える職業はほぼ無いのが現状であり必然的に辿り着く最適解が公務員であった、それも地方ではなく国家の方。

自然系の業種で景気が良いと聞いた話は、屋久島でガイドを行っている人の年収はゆうに700万は越すらしい。屋久島で年収700万クラスだと物価も賃貸も安いのでかなり裕福な生活ができるだろう。それにフリーランスなので他にも仕事を掛け持ちできるため経済的にはかなり強い。他の自然系業種はNPOやらビジターセンターの運営やら、お金に縁遠い仕事でボランティア活動のようなものばかりだ。調査系は少しは企業に勤めることで少しは安定するだろうが低賃金だろう。

 

そういったこともあり、経済的に安定して銭勘定に一喜一憂をすることなく好きな自然系の職種に就こうと思ったら辿り着くのは大抵の場合は公官庁などの行政職での技術職なんだろうと思う。

私は、日本の自然、それも一等級の大自然の中で働きたいという想いが予てからあったため、自ずと国立公園や世界自然遺産などを管理している環〇〇や林〇〇が夢の最終地点であった。

 

話を前回の続きに戻す。

bcsyelliy.hatenablog.com

 

私の方法でAR→Rになろうとしている人は存在した。

一つ年上のYさんだった、彼は私と全く同じ方法で実績をつくり筆記をクリアした後、面接試験も突破しようと足掻いていたのだ。彼は結局、在任中に見ごと最終合格を掴み転職を果たした。だが、第一希望の環○○ではなく併願先の林○○であった。

私も同じ年に挑んだが前述のとおり箸にも棒にも掛からぬ結果に終わった。次の年の2019年はそこそこの勉強であったが一次試験は突破できた。その後に、Yさんに面接対策について教わった、そこでは林○○はこういう人物を求めていて、自分が関わる仕事は○○と色々な情報を貰ったのだ。その中でも林○○での仕事の面白さや環○○よりも現場に出ることがおおいことなど、前回の記事に書いた通り憧れだったRが味気なくつまらないように感じて目指すモチベーションが薄くなっていた時期に林○○であれば、私のしたい事は実現できるのではないか、それに自然の中でも森林が最も好きな分野であるし、自然系業種としてその道を究めるなら林業の方が良いと考えたのである。夢の姿は次第に林○○に変貌し輝きを放っていた。

2019年の試験は内々定を貰い人事院試験の面接ではA評価を貰った。

実はA評価というのは物凄い事で

A評価(約2〜3%)、B評価(約20%)、C評価(約60%)、D評価(約15%)、E(約2〜3%)※国家一般職の人事院面接は、E評価で問答無用不合格

 

上記の様な評価別に区分されるので、誇らしいほどの結果を残したのである。

しかし、なんと愚かなことか小論文の対策を秒もやらなかった代償として、小論文は文字数未達で足切りとなってしまったのだ。筆記試験をパスして希望省庁から内々定まで貰ったのに、小論文で足切りになるという愚の骨頂を体現したのだ。一次試験の合格を上司やYさんに伝えていただけに、恥ずかしい結果を迎える事になった。

 

そこから、2019年11月と、時は流れ人事調査の季節になった。

非常勤職員は来期の更新をするかどうかのヒアリングが行われる、私は当初、来期も事務所に残り3年目も希望していた。だが、所長が「いまのままだと厳しい、なぜなら二人の非常勤と上手くやれていないからだ」と切り出すのだ、つまり私は2期限りで更新はされない、クビを宣告されたのだ。憤りや悲しみを味わい絶望したのだが、すぐさまこれはある意味最大のチャンスなのではないかとも思った。

その1週間後に所長と今後の事を話す時間が設けられたので、私の方から「今期をもって辞職します、そして早期辞職で1月末で退職をして勉強に打ち込みます」と宣言したのだ。所長は意外そうな顔を見せたが最後は「公務員になれることを応援している、頑張ってほしい」と言ってくれたのだ。そのため円満退社となり私はエーアールを2年弱勤めてすっぱりと辞めた。

 

次なるステージは完全に孤独な道で険しいが、チャンスをものにするには何かを捨てなければならないし、そうしないと成功を得ることなんてできないのだ。