夢と共に生きた20代

2020年2月1日 とても寒い冬の晴れた日だった。

親戚一同が集まって私が仕事を辞めたことと、これから行う夢についての共有をした日だ。大そうなことを言っているが、ただ単に最初は両親の親元で勉強する気にならなかったため、今は無き祖母の家を借りるための説明の場だったのだ。それに一人暮らしに慣れ切っていたし、それこそ没頭して勉強に励むために親の目が無い分、自由度が高く勉強できると思ったからだ。

そういうシチュエーションだったが、本質的には「○○を目指す」という一点を共有したことは確かだ。それに対してのプレッシャーは半端じゃなかった。元々私は夢を家族に言ったり共有するのは嫌いな性質である、子っ恥ずかしいし、それに夢なんてものは叶わない事の方が多い、変に期待を持たせても悪い。というか、私の人生の夢なんて、他の人に知ってもらう必要性はない、無言実行をして成し遂げてから語るのが誰かに干渉されたりもしないので最も良い方法である。

 

その夢の宣告の帰り道に色んな思いが交錯した。

歩きながら、ふと視線を上げたら淡いマジックアワーをバックにすっかり葉を落とした街路樹が綺麗に見えた。

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【2020/2/01 17:00 夕景と街路樹】

この情景を見ながら、私は必ず夢を叶えると覚悟を決めたのである。

 

そこから

一次試験の8月9日までは猪突猛進で勉強に打ち込んだ。

私は仕事していない、多くの人は皆仕事や学校などやるべきことをやっている。

ならば私も、その彼ら彼女に負けず劣らず勉強に精を出す、それ以上に精を出す、ある人が普段通りフルタイムの8時間で仕事して帰ってくるならば、私は最低でも8時間は勉強を行う、当たり前のように。そのようなモチベーションで毎月、毎月勉強時間を増やしていった。

 

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月の最高勉強時間は331時間 

週では87時間50分 

日では14時間

 

つまり、起きている時間はほぼ全て勉強に打ち込んだ。

寝る、風呂、歯磨き、ペットと遊ぶ以外はほぼ勉強だ、それこそご飯も食べながらインプット、トイレも何か覚えたり、記憶を思い出すようにしながら用を足す。そんな狂人的な日々を過ごすことになった。

 

そうした。甲斐もあり無事に一次試験を合格できた、教養に関しては作戦ミスでギリギリの通過になってしまったが、専門は平均的な出来、前回足切りになった小論文に関しては、なんと60の標準点(最高得点)を叩きだし、最高のリベンジを果たす結果となった!まぁ私よりも小論文対策をした人はいないだろうと思うほど、熱を入れてやり込んだので当然ではあるが、どの分野が小論文で出るのかは運ゲーでもあるので本当に良かったと思う。

 

そして、官庁訪問も今年も内々定を頂き、人事院面接もB評価でクリアしていた。

この成績結果は最終合格後に知ることなのであるが・・・。

 

最終合格の前日、本当に寝付けなかった、何度も起きてはトイレに行った。なんせここで落ちたら、、、ありとあらゆる犠牲を払って、リスクを背負って挑んだ今年の国家公務員試験。しかもコロナ禍という未曾有の不況にさらされているなか、無職の28歳の男、、たったの半年前まで(2020年の1月や2月までは)売り手市場で就職内定率や有効求人倍率は過去最高だったはず、、もう民間での就活絶望的、、、親戚一同に夢を表明するも破れたら恥ずかしいし、もう二度と胸を張れない。。。いろんな悲観的でネガティブな妄想が脳裏によぎり寝付けなかった。今振り返ってもこんな状況でスヤスヤ眠れるわけもない、なんせ人生が掛かっているのだから。

また、ネガティブだけではなくポジティブも考えようと試みた。受かったらどんな世界が待ち受けていつだろうか。まず、長年(8年~9年)ほど続いた神経症のような劣等感と焦燥感に悩まされるとはなくなるだろう。それだけでも全く違う人生なのだが、それだけではない、結婚もマイホームも車も手に入れることはできるし、普通の暮らしぶりをするのなら、生涯金銭面で苦労することは無くなるのだ。また、社会的な地位もあり、信頼度も高い職種でやりがいもあり充実の日々を過ごすことができる。短大を出て、専門も出てから社会人になっていた頃に、それらの何も成しえることができないと思っていた。それが、自分の夢を叶える事で実現できるのだ、それはもう天国と地獄の差である、雲泥の差である、運命の分かれ道は10月13日にハッキリとわかるのである。

 

朝8時頃、眠りが浅いため快調に目覚めた。

9時に最終合格発表でHPから知ることができる。午前9時ちょうどにPCに向かった。

受験区分、受験地などの項目を進めていくうちに心臓が高鳴るのが分る、、ドックン、ドックン、ドックン、はぁあ、はぁあと呼吸も荒くなってくる。今更どうあがいても内容は変わらないのだが、落ち着きを払って結果を確かめる事は不可能であった。

受験番号を確かめる、小さい数字から順に追う、もう少し下だ、スクロールを下げる、ジリジリと下げる、もうすぐ自分の番号付近だ、、内臓が口から出そうだ。。

【99○○〇〇】を見つけた!自分の番号だ、目を疑った!もう一度自分の受験番号を見る【99○○〇〇】だ 間違いない!! 最終合格している!!

家には私一人だとわかっていたので、感情を大爆発させて叫んだ『最終合格してる!!最終合格してる!!最終合格してる!!』歓喜に湧いて、ベットを叩きながらなお叫び続ける『最終合格してる!!最終合格してる!!最終合格してる!!』マットやら掛布団は散乱しまくった、発狂しながら叫び狂ったように喜んだ、若干外の窓が開いていたので近所迷惑になるぐらいの雄たけびで喜んだ。喉が潰れた、冗談じゃなくて声が数時間ぐらいかすれてしまうぐらい声帯を痛めるぐらい叫び喜んだのだ。まさにこれぞ狂喜乱舞!

 

2020年10月13日午前9時 私は20歳から想い続けてきた長年の夢を掴んだ。

9年の月日が流れていた。夢を叶えるまでに9年の歳月。途方もなく遠くまで夢を追いかけていたのだ。ある時は違う夢に目移りしたが、当初からやりたかった仕事の理想形とほぼ同じ夢を叶える事が出来た。

 

夢追い人だった20歳の青年は歳月を得てあと残り30分で29歳のいい年をしたアラサーである。ようやく終着点にたどり着いた景色から、20代前半、中半の自分に対して贈る言葉があるならそれはなんだろうか。

たった一言だと思う「諦めるな。誰に何を言われようと自分を信じてやれ。」と言いたい。

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さて、29歳の自分、いよいよこれから私の人生の第二章の始まりだ。

やりたいことをやりきろう、そして、毎年、毎年自己更新記録を打ち立てられるような、自分が自分の事を好きで誇らしく想えるような人になりたい。

新たな”夢を想像して創造していこう”