逆転人生

コールセンターの営業会社から退職した自分は、リラクゼーション業界に就活をして2社の内定を貰った。

なぜ、リラクゼーションなのか。

それは単純に都会で働くうえで自然のようなリラックスした職場で働きたいという、営業会社からのストレスの反動の様なものだと思う。

もちろん、大義名分を抱えてはいた。

「都会で働いている人のストレスをリラクゼーションによって緩和させたい」 という大義名分だ。

私はこれまで、森林セラピーなど森林浴から得られる科学的な効能の”フィトンチッド”がストレス値の上昇を抑える効果が認められることを知っていた。

ゆくゆくは、リラクゼーションと自然との融合したコンセプトで社内の中から自社ブランドでも立ち上げてやろうとさえ思っていたのだった。しかも、次に就職した会社も上場を目論むベンチャー企業であった。ようやく自分のやりたいことができるのかもしれないとも思った。相も変わらずストックオプションを買い、会社を育てて上場させてお金を得る、そして起業するのだと息巻いていたのである。

 

ところが、現実はそんなにうまいこと行かない。私は中途採用されたポジションは新卒扱いではあったが、総合職ではなく専門職。専門職はお店に入り店長業務を行うことがメインであった。総合職であれば、自社ブランドの開発や新規開拓事業にも携われる機会もあっただろうが、自分の立ち位置では理想は現実になりそうになかった。

 

それから月日は経ちその会社には2年半務めることとなった。

その間に、私は大きな怪我をすることになる。

ある日の朝いつも通りに自転車に乗り通勤していた最中のことだ、空は晴れ、すっきりとした天気で初夏の頃だった。

その頃は田〇〇布の店で一番下っ端として働いていており、全く尊敬のできない上司といつまでも自己実現のできない、うだつが上がらない毎日に嫌気がさしていた。日当たりの良くない狭くて窮屈で、屈折した先輩の元、毎日を働くのが本当にしょうもなく、居心地が悪く、それでいてとても自分が小さな存在の様に思えて居たたまれなくなっていた。小さい頃に思い描いていた大人の自分はこんなに小さな自分の訳が無いと。その当時の自分を受け入れられることも無く、肯定もできないでいた。

それでも出勤日になればいつものように自転車に乗り、最寄りの駅まで向かう。初夏の晴れた空はそれとは関係なく限りなく青く、自由の象徴のように思えた。そんな空を見ていたら「あぁ、俺はこのままでいいのだろうか。。。?俺は本当はレン〇〇ーになりたかったんじゃないのか?」とポツリ呟いた。

そう。その頃の自分は俺が思い描いていた自分の人生とはまるで反対の方向へ走っている、そんな”逆転人生”であったことに物凄い違和感と自己嫌悪があった。

 

その日、通常通り仕事を終えて、電車に乗り駅に降りて自転車に乗って帰っていた。いつもの自分とは違った点でいえば、大音量でロックを聴いて無茶苦茶な荒い運転をしていたことだ。運転を誤った自分はコンクリートに叩きつけられ、一番最初に衝撃を受けた左手首を骨折してしまう。

日曜日の夜の救急病院に親父とタクシーで向かい、診断されたのは全治半年で手術が必要とのことだった。当時の自分の職業は施術を行うものだったので手首が使えないというのは事実上の引退のようなものだった。

半年の期間は入院、手術をしてリハビリをして過ごす。その間にある膨大な時間の最初に過ごす時間に、本当に自分がやりたかった仕事は自然の中で働くことであると意識し始め、それを実現するべき時が今なのだと直感した。

 

そこからは、遠くに光り輝く夢を追いかけるために、180度の方向転換の舵取りを行った。貯金を切り崩し、受験に必要な参考書に問題集を買いあさった。

怪我した当時は25歳。もうそろそろ夢を叶えられる期限は5年間しか残っていない、本気でやらなければ夢行きのゴールデンシップへの搭乗は乗り遅れてしまい、もうやり直せることは無くなってしまう、一生の後悔を残してしまうと思った。